「自己主張」と「相手の立場に立つ」ということ

平均的な日本人とアメリカ人のコミュニケーションの姿勢において、日本では「自己主張は控えめに、相手の立場を慮ること」が美徳とされる一方、アメリカでは「自分の意見を相手にはっきりと伝えること、議論できること」が大切だと考えられている。

日本人同士なら、お互いに「控えめな自己主張」と「相手の立場を考える」ことのバランスが取れる。アメリカ人同士も同様である。

しかし日本人とアメリカ人の場合、日本人は「相手がこちらのことを配慮してくれない」ことに不満を持ち、アメリカ人は「ちっとも意見を言わないから何を考えているのか判らない」と不気味がることになってしまう。

以上は一個人のレベルで日々感じることだが、残念なことに日本という国の外交を見ていると、同じようなすれ違いを感じてしまうことがある。

私が科学とかエンジニアとかに興味を持ったのはいつだろう

NHK教育テレビ ETV特集「新"科楽"教育のススメ」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2005/0409.html

『楽しくなければ科学じゃない』『“科学”ではなく“科楽”』をキャッチフレーズに、数々のユニークな実験を通して子どもたちに科学の魅力を伝える米村でんじろうさん。実験で使うのも、紙や粘土、石けんや風船など、どれも身近にあるモノばかり。米村さんはかつて高校教師だったが、学校を辞め、科学教育を仕事にしようと会社を立ち上げた。いま全国を回りながら、子どもたちに新しい形で科学のおもしろさを伝えている。

私が科学とかエンジニアとかに興味を持ったのはいつだろう。もともと理科は嫌いではなかったが、小学校低学年のことは、これといって何かがあったとは憶えていない。

海外の短波放送を聞く BCL が流行ったのは、小学校6年生くらいのときだったかなあ。ラジオにかじりついて海外からの日本語放送を聞いては「受信報告書」を送って、「ベリカード」を集めるのが楽しかった。

それがいつの間にか無線機や無線技術に興味を持ち、見よう見まねでアマチュア無線の勉強をしてみたりした。

中学2年生のときだったか、それまで手探りでチューニングを合わせなければならなかったのが、受信周波数を 1kHz 単位でデジタル表示してくれる短波ラジオ「プロシード2800」が松下電器から登場した。それまでそのような機能は20万円近くする無線機でしかできなかったから、私にとっては夢のようなラジオだった。

こんなラジオを作ってくれる松下のエンジニアの存在を意識し、尊敬し、あこがれた。いつか自分も、こんなスゴイものを世の中に送り出すような大人になりたいと思ったことを、はっきりと憶えている。

「チャレンジすること」と「失敗しないこと」

シリコンバレーに本社を持つコンピュータ会社に籍を置いて15年。この会社は確かにハードウェアを売っている会社ではあるが、その中にいて感じるのは「この会社はソフトウェアを作っている会社だ」ということ。

前に勤めていたのは典型的な日本の大企業。研究所と名のつく部署にいたが、やっていることは製品開発に近かった。コンピュータではなかったが、エレクトロニクス/ハードウェアの要素技術の開発である。今で言うところのデジタル家電の先駆けであろうか。

この、いわば両極端といった感じの仕事の両方を見て、感じることをまとめてみたい。

今の会社で仕事をするようになって、はじめの数年間、どうしても馴染めなかったのが「失敗しても誰も責任を取らない・問われない」ことだ。

もちろん、上司から部下へ個別に叱責・指導されることはあるし、経営レベルの失敗は経営者の交替にもつながる。しかし、新製品や新しいプロセスの開発プロジェクトが失敗しても、誰が責任を取るわけでもなく、いつの間にか新しいプロジェクトが始まっている。

また、それらプロジェクトの進め方にしても、日本での仕事のやり方を知っている私にしてみれば、その青写真は穴だらけ(青写真すらないこともある=リーダーの頭の中にだけあるようだ)で、「おいおい、これはどうするの?あれはどうなっているの?」と感じることばかり。それじゃ失敗して当たり前じゃないか、と思っていると、案の定、失敗したりすることも少なくない。

だいたい、新しいプロジェクトが始まるときに、ちゃんとした計画などあったためしがない。それよりも、「こういう風にすれば、こんなすごいことができるぞ」と大風呂敷が広げられて、「それはスゴイ!やろうやろう!」とメンバーが集まってくる。集まったメンバーで、ああでもない、こうでもないと議論が繰り返され、上述の青写真ができてくる。

日本だとこの段階で、かなり綿密な検討が行なわれる。開いた穴を見つけ、塞いだり避けたりする方法を考える。反対しそうな人には予め根回ししたり、それでも無理そうなときはその部分をプロジェクトから除外したりする。言い換えると、いかに失敗しないで完成させるか(本当の意味での「成功させるか」とは限らない。これについては改めて検討したい。)を徹底的に検討する。

ところがウチの会社では、「自分たちに不得意なこと・面倒なこと」は後回し。とにかく自分たちの得意なところから手をつける。反対しそうな人には黙ってやる。作りながら、やりながら軌道修正してゆく。軌道修正しているうちに、最初の大風呂敷は普通の風呂敷になり、ハンカチくらいになっている。

「なんだよ、最初に言っていたこととずいぶん違うじゃないか」と言っても、「いや、それはカクカクシカジカの制約があるから、今回のフェーズではここまで。残りは次のフェーズで」。そうして大騒ぎしてプロジェクトを立ち上げた割には、成果は「使い物にならないハンカチだけ」ということになる。もちろん、誰も「大風呂敷がはんかちになっちゃった」ことの責任は取らないし、責任を問う声も上がらない。

尤も、本当に「ダメ」なプロジェクトの場合、「失敗」を予測して、途中でメンバーが逃げ出して空中分解してしまうこともある。そうでない場合は、第1フェーズを進める中で得られた新しいアイディアを基にして、第2フェーズが計画されることになる。

(あるいは、第1フェーズの結果「この方法ではメリットが得られないことが判った」という「成果」を生み出して、そのまま何もなかったかのように終了することもある。また、ごく一部の天才的メンバーによるプロジェクトでは、最初からとんでもなくスゴイ成果を生み出してしまうこともある。)

私はこういう仕事のやり方が嫌で嫌でしょうがなかった。ほかの多くの日本人社員も私と同様に思っていたようだ。(そういう人がプロジェクトのメンバーに入ると、たいてい他の誰もやらない「穴塞ぎ役」になってしまうことが多い。)

だからといって「そんなやり方じゃだめだ、ここはどうする、これはどうなる?」などとばかり言っていると、「お前はいつもネガティブなことばかり言っている。そういう態度ではだめだ。もっとチャレンジしろ」と、かえってマイナス評価されてしまうのだ。それは困る。

そんなこと言ったって、正しいのは自分だ、とはじめのうちは思っていたが、ある時ふと気がついた。「失敗してもチャレンジする人は認められ、失敗しないがチャレンジもしない人はマイナス評価される。他人の杜撰なプロジェクトに振り回されて穴塞ぎに走り回るよりも、自分から新しいプロジェクトにチャレンジする方が良いんじゃないか?」
(続く)